
ねえゆう、みいが右に行った世界と、左に行った世界って、ほんとにあるの?

そこが気になったんだね。それ、「多世界解釈」っていう考え方のはなしだよ
「もうひとりのきみ」は、見つかっているの?


もうひとりのみいが、どこかの世界にいるの?

実はね、「別の世界にもうひとりいる」って、まだ見つかったわけじゃないんだ

にゃんと!? みい、ほんとにいると思ってた!

ふたの閉じたおやつ箱に、「別の味も入ってるかも」って考えるのに似ているよ

箱をあけるまで、別の味があるかはわからないんだね

「多世界解釈」も、それと似た「考え方」のひとつなんだ

物語のパラレルワールドみたいに、そこが見つかっている話じゃないの?

うん。これは、むずかしい計算をどう受けとるか、という「考え方」なんだよ

みい、鏡見てくる! もうひとりのみい、はっけん!

鏡のうらに、もうひとりのみいの部屋があるかも!

みい、それは同じ部屋にいるみいが、鏡にうつってるだけだよ
小さなものは、いくつもの「ありそう」が重なる


電子や光のつぶみたいに、とっても小さいものはね。答えが1つに決まる前は、いくつもの「ありそう」が重なっているんだ

「ありそう」って、どういうこと?

池に石を2つ、ちがう場所から落とすと、波が広がって重なって、しま模様みたいになるよね

波が重なるなら、クッキーも重ねたら2枚食べられる?

小さなつぶも、それと似た「重なり」を作ることが、じっけんで何度もたしかめられているんだよ

重ねたクッキー、2枚とも食べられそう!

でも、測ったしゅんかんには、みいが経験する答えは、けっきょく1つなんだ

おやつまで増えないなんて、ちょっとずるいよ!

クッキーが2個に増える魔法、という話ではないんだよ

えーっ! 「ありそう」は、おやつの数じゃないのかー!

重なったものが、なぜ1つに見えるのかは、博士たちも考えつづけているんだよ
多世界解釈は、どう考えるの?


多世界解釈ではね、測るときだけとくべつな「答えを1つにしぼるルール」を、あえて置かないんだ

じゃあ、測ったらどうなるの?

量子の状態は、ずーっと同じルールで変わりつづける、って考えるんだよ

同じルールのまま、答えが並んでいくんだね

すると、ちがう答えにむすびつく状態どうしが、たがいに重なりにくいまま、ならんでいくと読むんだ

道が本当に2本にパチンと裂けるの?

そう考える博士もいるよ。でも、毎日の選びごとを1つ2つと数えられるほど、かんたんな分かれ方じゃないんだ

毎日の選びごとを、1つ2つと数える話じゃないんだね

道が2本に裂ける絵じゃなく、同じ楽ふを別々のパートに分けて練習する見取り図みたいなものだよ

道が裂けるんじゃなくて、楽ふを分けて練習する見取り図なんだね!
どうして、もうひとりに会えないの?


もし別の世界がほんとにあるなら、会いに行けないの?

うん。量子は、まわりの空気や光や測る機械とかかわると、ちがう答えどうしの重なりを、たどれなくなっていくんだ

空気や光と関わると、重なりを追えなくなるんだね

これを「脱干渉」……難しい言葉で、デコヒーレンスっていうよ

ミルクを水にまぜると、もとの一てきだけを、きっちり集めなおすのは、とってもむずかしいよね

会いに行けないみたいで、ちょっとこわいな……

……うん。ぼくは、ここにいるよ

そっか……もうひとりのみいに会いに行けないの、ちょっとさびしいな

多世界解釈では、重なりがまわりに広がってたどりにくくなり、枝どうしがほぼ別々に見えると考えるんだ

にゃんと!! 宇宙ぜんぶをふるいにかけたら会える?

今わかっている方法では枝を集めなおせず、別の枝と通信したり行き来したりする方法も知られていないんだ
ねこ換算


コインを10回投げると、表と裏の出方は、ぜんぶで1024通りにもなるんだよ

にゃんと!! せんまいってこと!?

ねこ換算だと、可能性のカードを1枚ずつねこに配ったら、1024匹のねこが必要になるってことだね

カードを配ると、可能性の数の大きさが見えるんだね

うん。ただこれは、可能性の数がふえていく感じをつかむためのたとえだよ

コインを投げるたび、たくさんの世界が見つかるわけではないの?

よかった。これは、コインの出方の組み合わせの数なんだね

コインを投げるたびに、1024個の世界が見つかった、って意味じゃないんだ
3ぎょうまとめ
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「もうひとりのじぶん」がいる別世界は、まだ見つかった証拠ではない。多世界解釈という「考え方」のひとつ
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小さなものが重なって見える現象(干渉)は、じっけんでたしかめられている。でも、多世界解釈だけがそれを説明する唯一の答えではない
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別の枝の自分に会う・通信する・行き来する方法は、今のところ知られていない
きょうのナゾ

同じじっけんの答えが出るなら、どの考え方がほんとうか、どうやって決めるの?

それって、まだだれにも答えが決まっていないなぞなの?

うん。……そうなんだ

どの考え方がほんとうか、いつか決める方法を探しているんだね

ちがう考え方どうしで、いつかちがう予測が出るかを調べているんだ

量子からふだんの世界がどう見えてくるかも、まだなぞなんだね

うん。そこも今、調べつづけているんだよ

もうひとりのみいに会えないのは、ざんねん。でも、答えをさがすじっけんは、おもしろそう!
つぎはこれ!
おとなメモ(おうちの方・先生へ)
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多世界解釈は、1957年のEverettによる相対状態定式化を源流とする量子力学の解釈の系統です。「多世界」は単一の固定された理論模型の名称ではなく、分岐・確率・基底選択などをめぐって複数の議論があります。
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量子の重ね合わせ、干渉、測定統計(ボルン則)はじっけんで支持されています。これらの観測事実だけから、多世界解釈が唯一正しいとは結論できません。
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本文の「枝」は、異なる測定結果に対応する量子状態の成分を説明するための教育用の表現です。多世界解釈は、測定時だけの物理的な「収縮」を基本法則に置かず、状態が一貫してユニタリーに変化すると考える読み方です。
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「観測」は人間の意識に限りません。本文では、量子系が測定器・空気・光などの環境と相互作用する物理過程として説明しており、意識が世界を分ける・現実を作るという主張は含めていません。
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デコヒーレンスは、系と環境の相関によって異なる状態間の干渉が実用上たどりにくくなる過程で、研究・実験対象です。多世界解釈で枝が古典的に見える理由として重要視されますが、これ単独で測定問題のすべての哲学的論点が解決したとは言えません。
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「選ぶたびに世界がきっちり2つに分裂する」という描写は強い単純化です。分岐の記述はデコヒーレンス・粗視化・基準にする観測量などと関わり、枝の個数を一般に一意に数えることは難しいとされています。
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多世界解釈、収縮を置く解釈、ボーム理論などは、多くの既存実験で同じ予測を与えます。全ての解釈が永遠に区別不能とも、すでに多世界解釈が実験で選ばれたとも書いていません。研究者は、解釈間で異なる予測が出せるか、量子からどのように古典的世界が現れるかを調べ続けています。
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ねこ換算の根拠: コイン投げ10回の場合の数は2の10乗=1024通り。これは確率と組合せのたとえであり、多世界解釈における枝の実測数や証拠として扱っていません。
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「もうひとりの自分」に会う・通信する・移動する既知の方法はありません。既視感や夢などの体験は、科学的証拠として本文では扱っていません。
参考にした資料
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Hugh Everett III — “Relative State” Formulation of Quantum Mechanics: https://doi.org/10.1103/RevModPhys.29.454
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Wojciech H. Zurek — Decoherence, einselection, and the quantum origins of the classical: https://doi.org/10.1103/RevModPhys.75.715
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Maximilian Schlosshauer — Decoherence, the measurement problem, and interpretations of quantum mechanics: https://doi.org/10.1103/RevModPhys.76.1267
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Nobel Prize — The Nobel Prize in Physics 2022(量子もつれ・ベル不等式検証に関する公的解説): https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2022/press-release/
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NIST — Quantum Information Science: https://www.nist.gov/quantum-information-science
(最終更新日: 2026-08-11)